支援員 所 彩華
こんにちは。初めてコラムを書きます。どんなことを書こうかと少し悩みましたが、まずは私がどんな人かを知ってもらえたら嬉しいなと思っています。
私の子ども時代は、お母さんから離れるのが嫌で嫌で……幼稚園へ泣きながら登園し、先生に手を引かれながらお母さんとお別れする日々でした。その光景は、今でも鮮明に思い出せます。学校生活が始まっても、あまり状況は変わらず、遅刻して登校したり、お休みしたりすることが多かったです。家を出て「行ってきます」と言った後も、途中で泣きながら戻ってきてしまうことも。学校に行かなくてはならないことはわかっていましたが、どうしても行く直前になるとおなかが痛くなるのです…。
大人になってから知ったことですが、母はそんな私の様子に悩んでいたようです。それでも、当時の担任の先生は「彼女にはペースがあるから」と温かく見守ってくれていたようで、そのことに今も感謝しています。学校には行けないのに、この優しい担任の先生のことは大好きでした。
私は小さい頃から(今もですが)心配性で、不安な気持ちがついて回るタイプでした。今日は何があるのかな、今日の給食は食べ切れるだろうか、食べられなかったらどうしよう…。今思い返すと、給食を食べることに関して何が不安だったのかはわかりません。私自身、食は細いタイプでしたが、給食を残したせいで怒られたり無理やり食べさせられたりすることはありませんでした。それでもその時間がくることが、幼い私にとっては不安の種だったのだと思います。そんな私に母は、給食を食べられるように、と小さな「お守り」を筆箱に入れてくれ、いつでも目にできるようにしてくれました。それは、学校時間に時折眺めて安心材料になっていたことを覚えています。

中学年に進級してからは、ようやく毎日学校に行けるようになりました。担任の先生は変わってしまいましたが、新しい担任の先生も大好きでした。クラスのメンバーも変わっていません。私は中学年になってやっと、まわりとはペースが違ったかもしれませんが、学校に通うための心の準備が整ったのだと思います。
学校が大好き!と思ったことはないけれど、出会った先生方のことはずっと大好きだったので、いつからか私もそうなりたいと思い、小学校の教師を目指して教育大学に進学しました。
しかし、大学でさまざまなことを学ぶうちに、私は学校の枠にとらわれず、もっとじっくり子どもたちと向き合える仕事があることを知りました。今、過去を振り返ると、幼少期にじっくりと“私”に向き合ってもらった経験が、私の現在のテーマである【子どもたちのペースを大切に、あたたかく見守ることのできる支援者になりたい】という思いに繋がっているのだと思います。

大学卒業後は児童心理治療施設で7年間勤務し、現在はあんどで働いています。児童心理治療施設の毎日は刺激的で、難しくも楽しい毎日だったので、そのことについてもまたどこかでお話しさせてもらえたらと思います。
こんな私ですが、これからもよろしくお願いします。
